20110326明日香・大和郡山

20110326明日香・郡山
 今日は奈良明日香を目指します。今回もこれ!といった目的もないんですが、桃も桜もまだ早いんで、どうしたものかと・・・そうだ!!菜の花なら開花時期に幅があるんでなんとかなるかも・・・ってわけで奈良県某所を目指して、阪神高速経由で一路明日香へ。
 
イメージ 14
 
 
[丸山古墳]
イメージ 1
 第二阪奈をおりるといきなり左手に古墳が・・・。確か丸山古墳。すごいでしょ、走っていてもすぐに古墳の名前がわかるなんて。ちゃんとカーナビに出てますから(笑)
 
イメージ 2
久しぶり(5年ぶり?)の石舞台古墳です。いつ見ても迫力がありますね。もう10日もしないうちに桜が咲けばこの古墳は桜に囲まれます。本当はその時に来るのがベストなんですが、 正直ヒトが多すぎるので遠慮しておきます。
 
とにかく仁徳天皇陵と並び小学校の教科書にも出てくる古墳の代表といえば、この古墳ではないでしょうか。
古墳時代後期の古墳で国の特別史跡に指定されている古墳で埋葬者は蘇我馬子といわれています。元々は普通の古墳のように土を盛り上げて作った墳丘で覆われていたが、長年の間に盛り土が失われ、巨大な石を用いた横穴式石室が姿を現し現在に至る・・・そうです。誰が見たのかは知りませんが(笑)

「舞台」ってのも変な名なのですが「狐が女の姿に化けて古墳の上で踊ったことから石舞台と名付けられた」という伝説について石室内にいる解説のオジサンが話してくれますが、元々その形状から「石蓋(いしぶた)」と呼んでいたのが訛ったってとこがオチなのではないかと。でも、お話としては狐~の方が面白い。
 
でも、狐の化けた女ってのはど~してもキツネ顔・・・(漫画日本昔話の影響か?)、はっきり言って踊ってたとしても、あんまりみたくない(笑)
 
[玄室入り口]
 
イメージ 6
 
  
[玄室天井]
イメージ 7
 
 
 [各種(観光用)資料]
イメージ 8
まあ私はあんまりこういったものは買わないんですが、奥さんは大好き。なにやら買いこんでおれれました。
 
イメージ 9
前後しますが、石舞台への道中にあった紀陽銀行。う~ん建物まで明日香してますね~。古銭でも両替してくれそうです。
 
 
 [稲渕棚田]
イメージ 15
日本棚田100選にも選ばれていたはずの稲渕棚田に到着。「春ぴあ」では田植え前の棚田に咲く見事な菜の花が紹介されていたので、やってきたのです。。。。。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
[ただの田植え準備がされていない棚田]
イメージ 16
少し菜の花もありますが・・・「春ぴあ」とはちょっと・・・かなり・・・全然違います。タイミング外したか・・・と思いながらもあちこち写真を撮って歩きます。
 
[昼食はどうしよう]
棚田の風景を堪能(?)したあとは市内を目指します。できればラーメンといきたいんですが、奈良と言えば天理ラーメン。まぁご当地B級グルメで「黒米カレー」とかもあるんですが(^^ゞなんとも。
なんかB級グルメブームでなんだかご当地の名産品等を無理やり使って名物になる新メニューを作ろうとしているのを昨今よく見かけますが、そんなのはねぇ・・・・。
奈良の皆様が昔から黒米(古代米)」を食べていて、それに則した食文化・メニューがあるのなら、喜んでいただきますが。
で、結局は「ラーメンはウソをつかない(?)」ってノリで、天理ラーメンにしました。天理ラーメンと言えば、「彩華」、「天理スタミナラーメン」ってとこですかね。で、結局は「天理スタミナラーメン」
 
 
 [郡山城城跡]
イメージ 10
昼食後、金魚の街。大和郡山市へ。郡山城の城跡を目指します。モニュメントの上に金魚の型に抜いてあるのがわかるでしょうか。時期は忘れましたが金魚すくいの全国大会とかもここで開催されていたと思います。
優勝を狙う方々達は、家に「マイ金魚すくいセットー夜店の金魚すくいと同じものーを設置して、腕を目指すそうです。
 
 [郡山城城跡]
イメージ 11
城跡と思っていたのですが、一部随分立派に復元してあります(笑)。廃城めぐり等をしていると、ただの土塁しか残っていない遺跡レベルからある程度手を入れてある公園・観光地として活用されているものまで様々。
どうやら、ここは後者のようですね(^^ゞ
 
 
 [郡山城案内図]
イメージ 12
この城跡は公園・観光地どころか、場内に中学校と高校があるようです。たしかに市の中心部の土地活用としては正解かもしれない。生徒が学校へ行く事は「登校」というのか「登城」というのかどっちなんでしょ(笑)
  
 [途中でみかけた雀]
イメージ 17
 
 
 [お城祭り開催中]
イメージ 13
前日より「お城祭り」が開かれており、ここの桜は「桜100選」にも選ばれている模様。ただ桜の花はまだ先、気温は10度・・・殆どお客さんはいません。殆ど地元の中学生・高校生だけでした。
夜店の方々の顔色も曇りがち・・・・。声にも元気がありません・・・。
  
 [さびしげなお城祭り]
イメージ 3
 一週間~10日経てば桜も咲いてお客も沢山こられますよ。
 
 
 [城壁]
イメージ 4
 この城壁・お堀は整備されていますが、、、、。
 
 
イメージ 18
 
 
 [さびしげな屋台]
イメージ 19
 
 
 [城跡向かいのセンター内にあった羅城門の模型]
イメージ 5
 
 
郡山城は10世紀後半、郡山衆が雁陣の城を築いたという記録が郡山城の初見とされているように、その歴史は恐ろしく古い。奈良時代には薬園が営まれていたとされるが、その後、明智光秀藤堂高虎らが普請に携わり、筒井順慶羽柴秀長らの主導によって改修されたとされている。今回、特に事前準備もなく現地を往訪したのであるが、その規模には正直驚いた。かなり立派じゃないですか!!

まぁ歴史的な背景については、興味のある方にはググっていただくとして、今回、多少苦言を呈したい。
 
と、いうのは…この城址は…あまりにも汚い!!ということである。
城址外周の堀は場所によってはごみだらけ。空き缶・ビニール袋・自転車・電気器具、あらゆるごみのオンパレードである。石垣も雑草が生え放題。堀も水を張る気があるのかないのか。今回写真で残したのは、一番絵面がいい面を撮ったが、他はひどいものである。
桜100選に選ばれているから桜祭りで客が呼び込めると目論んでいるのか…
市の財政状況もあるのであろうが、市民がこの城をどう考えているのか…疑問を持たざるを得ない。
 
趣味という程ではないが私は、城址・廃城が好きである。戦国の世から数百年を経てなお、その石垣を残し、今や観光地としても殆ど訪れる人がいなくなった現在もなお、地域に溶け込み、今も悠久の時間の中にその身を委ねている城址が殆どで、その姿が好きなのかもしれない。
 
しかし、この城址は違う。前述の後、徳川幕府よって改修を受け、最終的には柳沢氏が明治維新まで居城とした…百数十年前まで主があった割には、現代において「あまり」な粗末な扱いをしているのではないか。
 
さくら100選結構、お城祭り結構。
 
でも浮かれる前に、
 1 一度市民有志総出で堀のごみを拾うこと
 2 消防・山岳部員総出で石垣の雑草を抜くこと
 3 堀は放置するのかしないのかはっきりすること。やるならやるで堆積土を取り除き、水を張るなら張るではっきりすること。
 
これだけで、この城址は息を吹き返すと思うのだが。
 
正直、今までで見たあらゆる城の中で最低レベルだと思う。人の手で荒らされ、人の手による保存が行われていないという意味で。訪れる人も無く土に帰ろうとしている城址の方が遥かに美しい。このまま市民の慰み物として扱うのならそれはそれで市の選択であろうが、市の担当職員は他の城・城跡・廃城をもっと勉強すべき。
 
 [朱雀の湯 ゆららの湯奈良店]
少し、怒りが過ぎましたが次は温泉に向かいます。奈良って紀伊半島中部以南は名湯が多いんだけど、市内とかはあんまりないんですよね。ホテル併設は高いし・・・。有名な「奈良健康ランド」ってのもちょっと違うし、でエアらんだのがここ「朱雀の湯 ゆららの湯奈良店」です。
結果…はい汗も流せてすっきりいたしました(^^ゞ
 
 [朱雀の湯 ゆららの湯奈良店]
さあ帰宅前に軽く晩飯を、、、、。といってもB級グルメの黒米カレーってわけにもいかず、、、、。結局、帰り道に便利なロケーションにあったラーメン屋さん、「丸源ラーメンン」に決定。
 
で、今日も一日無事終了。あとは安全運転で帰ります。ありがとう明日香村・大和郡山市。お城大事にしてあげて下さいね。